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海外に行ってものを探す、というのは本当に不思議だと毎回思う。

わざわざ飛行機に乗って大陸を超え、電車に乗り小さな村にまで行く。

目的は蚤の市の隙間に光る古い品物を見つけ出すことだからだ。

第一ものが見つかる保証なんてこれっぽっちもない。

加えて自分も何を探しているかなんて全然わからない。

「何か」を探してる仕事ってつくづく不思議だ。

イメージと言えばそれまでだけれど、そのイメージを見つけるなんて不可能に近いのではないか?

この仕事は一体何なのだろう、といつもふと思う。

けれど、イメージの熱量が高まれば高まるほど蚤の市は僕に呼応してくれるのも事実だ。

これはもう感覚的なものなので第六感の領域に半分足を突っ込むことになる。

不思議づくしの話だから、これはまさに雲をつかむような話だ。

例えばある蚤の市での話。

数ヶ月前に僕は美しい馬の絵を蚤の市で見つけた。

クロッキーで描かれた白馬。素朴で優しいその姿に一目惚れし

迷わず譲ってもらった。これは「何か」のイメージにピタリとはまった。

「何か」とは自分の心を迷いなく満たすモノの姿だ。

それからまた数ヶ月。

ある蚤の市でものを探していると、妙に気になる箱が端っこに置いてあった。

この『気になる』理由は僕にも全くわからない。

何の変哲も無いただの紙箱で、取り立てて目を引く要素もまるで無いのだから。

けれどその箱の中身が気になってしょうがない。

たいして期待もせずに箱を開けてみると、、、

何とそこには数ヶ月前に見つけた白馬の絵を描いた画家のデッサンが沢山入っていたのだ。

しかも持ち主は前回譲ってくれたフランス人ではない。

こんな事ってほとんど奇跡に近い。不思議で仕方ない。

もちろんどのデッサンもとても素敵だ。

迷わず譲ってもらい大事に日本に持ち帰ってきた。

こんな巡り合わせを探す仕事はつくづく不思議だと思う。

' 距離感 'と言う概念がすっかりなくなっていくようだ。

けれど妙にストンと腑に落ち、そうか、最初から決まっていたのかもな、

と疑いなく納得してしまう自分がいたりする。

17 Oct 2018
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